昨日、「君が代」と「日の丸」を別のものに入れ替えてみると、どれだけアホくさくなるかなあ、と思って実験してみたんだけど、

しょっぱないきなりアレって、このブログ何?って対応に困った人いるだろうなあ。

某絵馬サイトの管理人が、「世の中それどうよ」なことをごにょごにょ言うブログです。あんまり考えがまとまってないので、声高にはいえません。せいぜい、ごにょごにょ言うだけです。

ストレートなものの考え方に「自分の国を愛するのは自然だ」というのがあるけど、

であるならば、「自分の街を愛するのもまた当然なわけだけど、じゃあ教師も含め都民が、便所の落書きみたいな東京都の紋章対して敬意はあまり払っていないだろう。


この紋章じゃあ、強い反発もない代わりに、それを理由に教師を罰することはありえないだろう。

企業なり、県なり、スポーツのチームなり、帰属を表すシンボルっていうのは世の中にあふれているのに、日の丸だけ明らかに文脈を負いすぎてる。

禁句かもしれないけど、こういう問題が出るたびに、どうせだったら、日本国憲法と一緒に新しい国旗と国歌もアメリカが押し付けてくれてたらなあ、と思うのだ。

戦後民主主義の象徴としての国旗。もちろん、国旗という象徴によって多様性を奪ってしまっては、何が旗印になっていようがダメなんだけど、日の丸よりももっとまったり、享受されていたんじゃないか、と思ったりする。

というか、もし、そのときに旗が変わっていたら、今「日の丸に敬意を払わん奴は日本から出てけ」とか言っているような奴の方が「おしつけ国旗だ」とか言って反対しているんじゃないだろうか。

つまり、国旗であること、と日の丸であること、というのはそれぞれ別の文脈を背負っているんじゃないかと思った次第。

ちょっと眠くなってきたので、ここまで。