ロストジェネレーションとして生きて
なんで、ロシア日記を更新しはじめたかというと、
暇だから。
訳あって無職であります。
派遣でコールセンターとか事務とか転々としてたんだけど、サポート系のコールセンターの契約の打ち切りを突然言い渡されたのが今年の3月。また、その理由が良くわかんなくて、休みが多いとかだったんだけど、一冬でノロウィルスとインフルエンザに両方やられたら仕方ないじゃん。要はもっと単価の安い別の会社に切り替えたかっただけらしい。
争おうかと思ったけれど、面倒くさかったし、そんな会社にしがみついても仕方ないやって、辞めて2週間ぐらい家でゴロゴロ。そしたら、たまたまあまり評判の良くない、派遣会社のS社から連絡が来たんで、暇だということを伝えたら、すぐに仕事を紹介してもらえて、3月末から事務で働き始めることに。
初日に研修で行ったら、会社名が違う。担当者も違う。仕事内容も全然違う。
研修先の企業名が違うので、確認したら、あるIT系企業の請負会社の子会社に派遣されるってことだった。仕事先はIT系企業の中で、そこの社員と一緒に働く。
つまり、あるIT系企業の仕事をするんだけど、自分が登録している派遣会社のS社とその企業の間には、別の会社が2社挟まっているのだ。
当然混乱する。一体、誰の指示で動けばいんだ?
というか、そういう契約体系だったということを把握できるまでに3日かかっている。それまでは、誰が担当者なのかもわからなかった。
さらに、IT系企業の社員には請負会社の名前までしか明かしてはいけなく、その子会社と、派遣会社の名前は絶対に言ってはいけないってことだった。
何それ?
しかも、製図の端末も今までに扱ったことがないし(CADを簡単にしたみたいな奴だった)エクセル、ワードでの入力作業と聞いていたのでまずビビる。
派遣会社の給料は時給だけど、請負会社の方はIT企業から出来高制で支払われているため、残業されると困るらしく、定時ないし一日一時間ぐらいの残業で帰宅できるのは楽だったので2ヶ月続けてみた。
雇用関係が複雑で、しかも仕事内容が聞いていたのと全然違うようないい加減さは、労災があった場合にどこが責任を負うのか分からない。自分が重大なミスを犯してしまったらフォローしてくれるのはどこの会社か分からない。そもそも、他のミスを一番立場の弱いところに押し付けられる危険性があるな、と判断したので、まあ人間関係も良くなかったし辞めました。
調べてみると、偽装請負が発覚した後は、こういう最終雇用主が分からないパターンというのが増えているそうで。
次の仕事を探さなきゃなんないんだけど、その前に思う。
なんでこんなに買い叩かれているんだろう。
辞めたその日に、買ってきたのがこの本。
(なんだよー、アフィリエイトしようと思ったら、はてなってタダじゃないのかよー)
雨宮嬢怒っております。
雨宮嬢自らと、実弟の体験を踏まえた上での渾身の一冊。フリーター、派遣など非正規雇用で買い叩かれるか、正社員となれたとしても長時間労働ですり減らされるか、という若者の不安定な実態について怒りの著書。不安定な労働者をプレカリアートと呼ぶ。
怒りのパワーでガンガン筆を進めるので、客観性にはやや欠けるかと。
利益と効率性の上に、労働力が買い叩かれているのは問題なのだけど、じゃあ労働者の賃金と地位を向上させたら、もっと安い労働力を求めて、さらに中国やインドに仕事が移転して、国内の仕事そのものが減るんじゃないの?とも思うけど、その辺の記述はなし。
でも、そういうのは彼女の仕事じゃないのかもな。そういうのはどこぞの偉い先生の仕事で、とりあえず、間違っているんだ、怒ろうぜ!というパワーが、著作のスピード感をあげていて、スピード感がある故に、偉い先生の書くものよりも、引きつける内容になっている。
買い叩かれる労働力でしかないならば、余計な悩みをしないために、愛国心とかスピリチュアリズムで自分を騙そうとも思ったけど、結局ムリだったので、(つか本当にスピは考えたw)
いろいろ読むべきなんじゃないかと。逆にネオリベを進めていた側の言説を追っていきたいと思った。村上龍とか竹中平蔵とか読み返すのもありだと。
で、買ってきた。(ピンボケじゃー)
上段
「犯罪不安社会」浜井浩一 芹沢一也(光文社新書)
「下流志向」内田樹(講談社)
「ルポ正社員になりたい」小林美希(影書房)
「偽装請負」朝日新聞社特別報道チーム(朝日新聞社)
「労働ダンピング」中野麻美(岩波新書)
「格差社会 何が問題なのか」橘木俊詔(岩波新書)
下段
「労働市場改革」島田晴雄 太田清(東洋経済新報社)
「JMM Vol.13 未来のあるフリーター未来のないフリーター」
村上龍(NHK出版)
「経済ってそういうことだったのか会議」竹中平蔵 佐藤雅彦
(日本経済新聞社)
買いすぎ。
上段は最近の格差社会系の本。(一冊違うのがあるけど)
下段は00年ごろの改革路線の本。
上段は新刊だけど、下段はブックオフで。竹中平蔵&佐藤雅彦の「経済ってそういうものだったのか会議」が100円で手に入ったのは収穫。
まだビレバンでピタゴラスイッチ本と一緒に新刊が平積みになってたからね。
ビレバンなら、むしろ「生きさせろ!」のほうをおくべきだと思うんだけど。
経済の本って相手にされずすり抜けていくクズ本が多いなかで、売れまくったこの本は当時の雰囲気を語る上でもはずせないと思う。(というか某ブックオフでは、経済書の100円コーナーのとなりが、竹内文書とかの超古代史本だったw)
自分らが社会に出たころは平成不況の真っ只中で、これからは規制緩和で自由競争で、がんばった奴は頑張った分だけ、実力のある奴は実力のある奴だけ、報われるみたいな言説が巷に溢れてて、就活の頃は嫌ってほど聞かされた気がする。
実力が無いから、こんな3流大学でくすぶってんじゃん、
とは思ったけど、これから頑張ればいいのかな、とも思っていたりした。学歴じゃない、年齢じゃない、なんていう言説も多かった。
とはいえ、じゃあ学歴じゃなく年齢じゃなく門戸が開かれたかって、たぶんそうじゃなかったんだろう。
それに、 雇用主も労働者も「不況だから」「改革だから」とあまりにも置かれた状況を自明のものと受け取りすぎていたような気がするんだ。
例えば100社近く就職試験を受けて、それでも受からなくて、フリーターになって、残業代もつかずに働いて、それでも「フリーターが社会問題」といわれるような状況を甘受していたことは果たして「不況だから仕方がない」「仕事があるだけまし」なことだったのか。
さらには、援交だとか、酒鬼薔薇、携帯電話の普及によるマナーの云々だとか、次代を担う存在として育てるものではなく、「規範意識のない他者」としての若者論が背景あったと思う。
実際の少年犯罪は増えていなかったわけで、世代としてそれまでの若者と違うところがあったとしても、明らかに、年長世代から実態よりも輪をかけて他者と見られていたんじゃないか。
「昔のワルは違った」とか言ってもそれは印象論以外の何者でもなく、犯罪発生率では横ばいもしくは縮小傾向にあったわけだし。フリーターという雇用形態でコストダウンを図っておきながらも、わけの分からない他者としかみなさないから「遊んでいてケシカラン!」と共感可能な存在にはならない。
「生きさせろ!」を読んでもう、これは女工哀史だなって思った訳で、右傾化に対して現在は昭和初期の再演とはよく言われるけど、むしろ19世紀の再演なんじゃないかな、とも思った。
事態は複雑で、こないだバンキシャ見てたら、北朝鮮が一部韓国企業を受け入れている開城(ケソン)の工業団地では、北朝鮮人労働者の月収が2ドルらしい。
2ドルて。
今後の国際状況によっては、日本企業が北朝鮮に進出っていうこともありうるかもしれない。
新自由主義の隆盛は、日本においては共産主義の崩壊の直後に来ているわけで
19世紀の経済状況のカウンターとして、共産主義が生まれたわけなんだけど、100年後の共産主義の失敗が、19世紀に立ち返るような保護なき自由競争を正当化していたんだよな。
もちろん、共産主義は失敗したわけで、そこには立ち返れない。
ただ、古典主義的な市場にすべてを任せておけばいいっていう考え方と、スウェーデンのような社会民主主義では、実のところどちらが良いのかっていう結論はない。
ただ、スウェーデンとは経済規模が違うわけで、さらに中国とか東南アジアとか、さらには北朝鮮のような人件費の安い場所と地理的に近くて、国内賃金を上げれば産業の流出を招くというのは分かった上で、それでも違うと思う。家が横須賀なんで、いざとなったら真っ先に死ぬのは自分なので、赤木君のように「戦争起こせ!」とは思わないけれど。
もうね、なんか意気入ってる。もっと調べて出版社に原稿持ち込みしたいぐらいw
暇なんで、一発あてにエロゲのシナリオでも書こうかなと血迷ったりしたけど、むしろ書きたいのはこっちだ。
読んだら、いろいろアップします。